「日本人が世界に誇るもの」
      

  先の戦争の真実は、白人帝国主義(人種差別と植民地政策)国の勝利
  により歪曲されています。

  祖父達は、戦争には負けましたが、欧米国の人種差別とアジア植民地化
  政策を粉砕するという戦争目的では勝利したのです。

  アジア諸国は皆、日本の戦争により、白人帝国主義(欧米諸国)の植民
  地からの独立を果たしたのです。

  敗戦国なるがゆえ、戦勝国に諂った政治政策により歪曲された歴史教科
  書などに惑わされてはならない。

  「南京大虐殺」は、戦勝国の明らかな「でっちあげ」であり、アメリカが行っ
  た大虐殺であった長崎広島への原爆投下の罪、と西洋諸国のアジア諸国
  を植民地としていた罪のイメージを隠すべくカモフラージュとして作られた
  幻の事件なのです。

  また、「従軍慰安婦」は、いわゆる売春宿を任意で従軍させたもので現代
  の戦争における常識的存在であり、必要不可欠のもので、強制連行により
  一般の婦女子を「従軍慰安婦」することはありませんでした。

  これを世界で最初に用いたのが、礼節の国、日本です。

  「従軍慰安婦」は、占領国の婦女子の安全を守るための制度であり、この
  制度も世界にほこるべきものといえます。


  << タイ国元首相「ククリックド・プラモード氏.」の言葉 >>

    「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。

    日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、
    生まれた子供はすくすくと育っている。

    今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、
    いったい誰のおかげであるのか。

    それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあった
    ためである。

    十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
    身を賭して重大決意をされた日である。

    我々は、この日を忘れてはならない。」

   (十二月八日、現地新聞「サイアム・ラット紙」)


  << インド元大統領「ラグ・クリシュナン氏」の言葉 >>

    「インドは当時、イギリスの浮沈戦艦を沈めるなどということは
    想像もできなかった。

    それを、我々と同じ日本が見事に撃沈した。

    驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという
    気持ちが起きた。

    (昭和四十四年「日本経済新聞」)


  << インドネシア元情報宣伝相「ブン・トモ氏」の言葉 >>

    「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して
    何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。

    インドネシアの場合は三百五十年間も失敗が続いた。

    それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の目の前で、
    徹底的に打ちのめしてくれた。

    我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を
    持ち、独立は近いと知った。

    一度もった自信は決して崩壊しない。

    日本が敗北したとき、

    「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力で
     やれば五十年はかかる。」と思っていたが、独立は意外にも
     早く勝ち取ることができた。」


  << インド極東国際軍事裁判判事「ラダ・ピノート・パール氏」 >>

    「要するに彼等(欧米諸国)は、日本が侵略戦争を行ったという
    ことを歴史にとどめることによって、

    自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七
    年間(昭和三年〜二十年、東京裁判の審理期間)の一切を、

    罪悪と烙印することが目的であったに違いない。

    私は1928年から1945年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かか
    って調べた。

    この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。

    それを、私は判決文のなかにつずった。

    その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人
    であることがわかるはずだ。

    それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、

    「日本は犯罪を犯したのだ。」

    「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ。」と教えている。

    満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の
    判決文を通して十分研究していただきたい。

    日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、荒廃に流され
    て行くのを、

    私は平然として、見過ごすわけにはゆかない。

    あやまられた彼らの宣伝を払拭せよ。

    あやまられた歴史は、書き換えなければならない。

    (昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)


   << 韓国 韓日文化研究所「朴 鉄柱氏」のことば >> 

    「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗れたのはむしろイギリス
    をはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。

    彼等はこの戦争で植民地を全て失ったではないか。戦争に勝った、
    敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる。

    というのは、クラウゼビッツの戦争論である。

    日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり
    日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。

    二百数十万人の戦死者は確かに帰ってはこないが、しかし彼等は
    英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象と
    なるのである。

    (昭和四十二年十月)


   << イギリス歴史学者「ウエールズ氏」の言葉 >>

   この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等を
   もたらし、世界連邦の礎石をおいた。


   << 米国ハワイ日本経済事務局長・政治学博士
                    「ジョージ・S・カナヘレ氏」の言葉 >>

    日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った、種々の仕事
    の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設
    して、それに訓練を与えたことである。

    (中略)

    インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なもの
    であった。

    これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり
    復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。

    日本によって与えられた、このような機会がなかったならば、戦後の
    インドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。


   << ビルマ元首相「バ・モウ氏」の言葉 >>

    約五十年前、ビルマは三回にわたる対英戦争の結果、その独立を
    失いえり、英国側はアジアに対する掠奪的野望をもって、これらの
    戦争を遂行した。

    愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流?、拷問およびしばしば
    死を甘受して突進して行った、これらの英雄はビルマの生存のため、
    苦難を受け遂には屍たり。

    ビルマ人はアジアを結合させ、アジアを救う指導者を待望していたが
    遂に、これを大日本帝国に発見した。

    ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対し、日本への感謝を
    永久に記録せんことを希望するものである。

    (ビルマ独立宣言より)


   << インドネシア共和国元首相「モハマッド・ナチール氏」の言葉>>

    大東亜戦争というものは、本来なら私達インドネシア人が独立のため
    に戦うべき戦争だったと思います。

    もしあのとき私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦った
    でしょう。

    大東亜戦争とは、そうゆう戦いだったんです。


   << イギリス歴史学者「アーノルド・J・トインビー氏」の言葉 >>

    英国最新良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは特別に
    センセーションをおこす出来事であった。

    それはまた、永続的な重要性をもつ出来事でもあった。

    なぜなら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は
    この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。

    1941年、日本は全ての非西洋国民に対し西洋は無敵でないことを
    決定的に示した。

    この啓示がアジア人の志気の及ぼした恒久的な影響は1667年の
    ベトナム戦争に明らかである。

    (昭和四十三年三月二十二日「毎日新聞」)


    << マッカーサー元帥の米国議会での談話記録 >>

    (日本には)石油がない、錫がない、綿がない、ゴムもない。

    その供給を全て絶たれたなら、どんな小国であっても戦争を
    決断する。

    << GHQ参謀部長「C・ウイロビー」 >>


    東京裁判は史上最悪の偽善だ。もし米国が同じ立場であったら
    日本と同じように戦っただろう。


    << イギリス歴史学者「トインビー」 >>

    第二次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、むしろ
    戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した。

    それらの国々とは、日本の掲げた大東亜共栄圏に含まれた
    国々である。

    日本人が歴史上のこした最大の業績は、世界を支配していた
    西洋人が「不敗の神」ではないことを示した点である。


    << 中華民国顧問「O・ラティモア」 >>

    日本が立派にやり遂げたことは、欧米の植民地帝国を完全に
    破壊したことである。


    << 社会学者 H・アミーズ女史 著書「アメリカの鏡・日本」 >>

    東京裁判は正義ではなく、明らかにリンチだ。私達アメリカが
    どうして日本を罰することができるのか?私には理解できない。


    << ネイール元インド首相 >>

    彼等(日本)は、謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。

    それ故にインドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。

    講和条約にも調印しない。(52年日印平和条約締結)


    << G・デザイ(印弁護士会会長) >>

    インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩を忘れては
    ならない。


    << G・シャフエー(マレーシア外相) >>

    なぜ、日本が謝るのでしょうか?あの大戦でマレーシア人と同じ
    小さな体の日本人が大きな体のイギリス人を追っ払ってくれたで
    はないですか?

    日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。

    この日本の尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見て
    いるようなものです。


    << 仏ドゴール首相 >>

    シンガポール陥落は、白人植民地主義の歴史に終焉をもたら
    した。


    << ラジャ・ダド・ノンチック(上院議員) >>


    我々ら日本軍を歓迎で迎えた。日本は将来の我々のために
    多くのものをもたらしてくれた。

    我々は日本から学んだことは「国を守る術」だった。


    << 歴史家 「Z・アビディーン」 >>

    日本軍政はマレー人の独立の種を撒き成長させた。


    << ゴー・チョクトン首相(シンガポール) >>

    日本の統治は過酷なものだった。しかし、日本軍により欧米の
    植民地支配は粉砕された。

    これはアジアに自信をもたせた。大戦後15年以内にアジアの
    植民地は全て開放された。


    << オン・サン(ビルマ独立の父) >>

    日本の軍事訓練は厳しすぎた。何度か自殺を考えるほどだった。

    しかし、ラン・グーンが落ちたとき、我々は間違っていないことを
    確信した。

    1948年8月1日 独立を宣言

    しかし、日本軍の劣勢は彼等の決断をせまる。

    独立維持の密約をイギリスから取り付けたオン・サンは、日本か
    らの離反を決意。同士の説得を開始する。


    << ミン・オン(ビルマ義勇軍設立メンバー) >>

    その判断は正しい。ビルマは生き残る術は他にない。

    しかし・・・・・。私は日本を裏切ることはできない。

    ミン・オンは離反を拒否し自決の道を選んだ。・・・・

    終戦後、イギリスは密約を無視。再植民地化に乗り出すが

    イギリスはそれが不可能であることを悟った。

    日本とオン・サンらが育てた、ビルマ義勇軍10万が英に
    立ちはだかった。

    1948年1月4日ビルマ完全独立、式典にオン・サンの姿は
    なかった。(47年7月暗殺 32歳)


    << 初代ビルマ首相 バ・モウ >>

    「真の独立記念日は1948年1月4日ではない。

    1943年8月3日だ。独立の真の理解者は東條大将と大日本
    帝国だった。


    << M・ハッタ(インドネシア独立の父) >>

    日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日
    に始まった。

    オランダは独立の腹いせに、多額の債務インドネシアに要求
    した。これを、戦時賠償の形でかたがわりしたのが日本であ
    った。


    << サン・パス復員軍人相 >>

    戦争が終わったあと多くの日本人が帰らずに我々と戦ってく
    れた。

    国軍墓地に葬り、勲章を贈った。

    しかし、それだけではたりないものを、彼等は我々に与えて
    くれた。


    << アラ・ムジャ陸軍大将 >>

    日本にはあと五年がんばってほしかった。そうすれば中東
    とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。

    中東もアフリカもこんなに苦しまずにすんだはずだ。


   << ナーセル 第二代エジプト大統領 >>


    アジアには日本がいた。アラブには日本がいない。


   << ブン・トモ インドネシア首相 >>

    あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならな
    かった。

    それなのに全て日本に背負わせ、日本を壊滅寸前まで追い
    込んでしまった。

    申し訳ない。


***********************************